新潟地方裁判所 平成8年(ワ)636号 判決 2000年3月02日
原告 瀬川美枝 ほか二名
被告 国
代理人 黒沢基弘 宮崎芳久 阿部昭雄 星野一雄 小島一俊 ほか三名
主文
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は、原告らの負担とする。
事実及び理由
第一請求
一 被告は、原告瀬川美枝に対して、五〇〇万円及びこれに対する平成八年一二月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 被告は、原告瀬川範子及び同瀬川眞由美に対して、それぞれ二五〇万円及びこれらに対する平成八年一二月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
三 訴訟費用は、被告の負担とする。
四 仮執行宣言(第一、二項)
第二当事者の主張
一 請求原因
1 当事者及び診療契約の成立
(一) 当事者
(1) 原告瀬川美枝(以下「原告美枝」という)は、故瀬川宗助(以下「瀬川」という)の妻であり、原告瀬川範子(以下「原告範子」という)及び同瀬川眞由美(以下「原告眞由美」という)は、瀬川の子である。
(2) 瀬川は、昭和二七年三月、新潟医科大学を卒業後、昭和三二年四月から昭和三四年四月まで、新潟大学医学部解剖学教室助手を、同年五月から昭和三六年七月まで、同医学部西川内科(現在の内科学第一教室・以下「第一内科」という)の血液班の副手を務め、昭和四五年一二月から平成四年五月まで、佐渡厚生連農業協同組合連合会佐渡総合病院(以下「佐渡病院」という)の院長を務めていたものである。
(3) 被告は、新潟大学医学部附属病院(以下「被告病院」という)を設置し、これを管理している。
(二) 診療契約の成立
瀬川は、平成五年一〇月一〇日、被告病院第一内科に入院し(以下「本件入院」という)、被告との間で、瀬川の疾病治療を目的とする診療契約を締結した。
瀬川の主治医は、入院当初は医師橋本誠雄(以下「橋本医師」という)であったが、平成五年一一月二二日からは医師成田美和子(以下「成田医師」という)となり、当時の第一内科の教授は、医師柴田昭(以下「柴田教授」という)であった(以下この三名を「主治医ら」ともいう)。主治医らは、いずれも被告の履行補助者である。
2 瀬川に対する治療及びその違法性
(一) 瀬川は、平成元年ころから汎血球減少症となり、平成二年ころ、佐渡病院において、骨髄検査の結果、骨髄異形症候群(MDS)のうちの芽球(白血病細胞)の増加を伴う不応性貧血(RAEB)と診断されたが、担当の医師漆山勝(以下「漆山医師」という)は、瀬川に対し、その疾病につき、再生不良性貧血ないしMDSのうちの不応性貧血(RA)と説明した。瀬川は、平成三年五月(以下「第一回入院」という)及び平成四年一一月(以下「第二回入院」という)、被告病院第一内科に入院して、検査及び治療を受け、その後も通院を続けたが、発熱及び汎血球の減少が続いたことから、平成五年一〇月一〇日、被告病院第一内科に再入院した。
(二) 主治医らは、第一回入院から瀬川が死亡するまでの間、同人に対して、同人の疾病について正確な説明をせず、原告美枝に対しても、瀬川は、将来、慢性骨髄性白血病になると説明したのみであった。
瀬川は、自身の疾病についてMDS(RA)であると認識し、将来、急性骨髄性白血病(AML)に移行する可能性のあることを医師として十分認識していた。そのうえで、瀬川は、本件入院の初日ないしその翌日、柴田教授及び橋本医師に対して、MDSの治療にあたっては、治療効果が明確でないにもかかわらず副作用があり、死期を早めかねない化学療法及び抗ガン剤治療をしないでもらいたい旨明確に申し入れ、両名の了解を得た。また、瀬川は、平成六年三月下旬ころにも、柴田教授及び医師小池正(以下「小池医師」という)に対し、同様の意思を表明した。
(三) フィルグラスチム(G-CSF・以下「G-CSF」という)の投与及びその違法性
(1) 橋本医師及び柴田教授は、本件入院後の瀬川に対する治療方針として、通院時と同様の支持療法及びG-CSF(薬品名グラン)の投与を選択し、右治療を開始した。
瀬川の抹消血中の芽球は、平成六年一月二六日ころから増大したが、成田医師は、その後も瀬川が死亡するまで、同人に対するG-CSFの投与を継続したところ、平成六年二月には、瀬川の末梢血中の芽球の割合は、二〇から三〇パーセントとなり、血小板数も減少し、瀬川は、MDSからAMLに移行したと診断されるに至った。その後も、瀬川の芽球は、同年三月下旬から五月中旬にかけて、さらに増大した。
(2) G-CSFは、顆粒球コロニー形成刺激因子と呼ばれる、造血幹細胞を刺激して好中球前駆細胞の分化増殖を促進する薬剤で、MDSに伴う好中球減少症には、その適応があるとされているが、末梢血中に芽球が認められるAMLについては、正常細胞の増殖・分化を促進する一方、芽球を刺激してこれを増殖させる作用が強いことから、禁忌とされているものであり、本件においても、末梢血中の芽球が増大した平成六年一月二六日以降のG-CSFの投与は、適応を欠く違法な治療であり、その後の瀬川の芽球の増大は、G-CSFの投与によるものである。
さらに、瀬川は、G-CSFの投与を認識し、かつ了解していたが、これは、自身の芽球の増大について何ら説明を受けていなかったからであって、このような状態での投与を同意していたものではない。
よって、平成六年一月二六日以降のG-CSFの投与は、適応を欠き、かつ瀬川の同意を得ずにされた、違法な治療行為である。
(四) エポエチンペータ(以下「エポ」という)の投与及びその違法性
(1) 成田医師は、柴田教授の指示により、平成六年三月一五日から同年四月二一日まで、瀬川に対し、週三回、エポ(薬品名エポジン)を投与した。
(2) エポは、造血因子であるエリスロポエチンが赤血球系造血前駆細胞に働いて、その増殖・分化を促進する薬剤であり、その適応は腎性貧血であって、AMLに対する適応はなく、MDSについても臨床応用が可能か否かの治験段階にあったものであり、既にAMLと診断された瀬川に対する同剤の投与は、適応を欠く、違法な治療であった。
さらに、瀬川は、被告病院入院前にもエポの投与を受けているが、これは、AMLの告知を受けていなかったからであって、AMLに対するエポの投与を同意していたものではない。
よって、右エポの投与は、適応を欠き、かつ瀬川の同意を得ずになされた、違法な治療行為である。
(五) 抗ガン剤の投与及びその違法性
(1) 成田医師は、平成六年三月下旬、瀬川の芽球の割合がさらに増大したことから、抗ガン剤の投与を検討しはじめ、柴田教授の指示により、いずれも、抗ガン剤であることを秘して、同年四月五日から、瀬川に対し、抗ガン剤であるシタラビン(AraC)の経口剤(薬品名スタラシド)を投与し、更に同月二一日から同年五月二一日まで及び同年六月一一日から同人が死亡する同月一三日までの間、AraC(薬品名キロサイド)を静脈注射した。
また、成田医師は、平成六年五月一四日から同月一九日までの間、瀬川に対し、抗ガン剤であることを秘して、エトポシド(薬品名ラステット)をAraCと併用して投与するとともに、同年六月一二日、心房性期外収縮を起こしていた瀬川に他し、抗ガン剤であるビンクリスチン(薬品名オンコビン)を投与した。
(2) 前記(二)のとおり、瀬川は、抗ガン剤治療を明確に拒否しており、前記抗ガン剤の投与は、瀬川の意思に反する違法な治療行為であった。
また、前記AraCとエトポシドの併用投与は、汎血球が減少していた瀬川の正常細胞をより減少させて、感染症や出血の危険にさらすものであり、その結果、瀬川は、後記(六)のとおり、感染症となり、全身状態が悪化して、その死期が早められた。さらに、ビンクリスチンの副作用として心筋梗塞が報告されていたことを考慮すれば、成田医師は、心房性期外収縮を起こしていた瀬川に対しては、心筋梗塞の危険性を考慮して、ビンクリスチンの投与を回避すべきであったにもかかわらず、これを投与し、その結果、瀬川を心不全により死亡させた。
よって、瀬川に対する抗ガン剤の投与は、適応を欠き、瀬川の意思に反する違法な治療行為である。
(六) 瀬川の死亡
瀬川は、平成六年五月下旬から、偽膜性大腸炎による腸管出血があり、同年六月二日ころ、バンコマイシンの投与により出血は治まったものの、その頃から胸水が増大し、同月一二日から、頻脈性心房細動が発生し、ジゴキシン等が投与されたが、同月一三日、死亡した。
3 慰謝料
瀬川は、自身の疾病があまり予後の良くないもので、いずれ死が訪れることを認識していたために、抗ガン剤治療を拒否し、支持療法のみで質の高い生活を維持しながらその死を迎えたいと願っていたものである。このような患者の意思は、法的にも保護されるべきであるところ、前記2(三)ないし(五)の治療行為は、瀬川の意思に反する、又は同意を得ずに行われた違法なものである。さらに、G-CSFの投与及び抗ガン剤治療は、瀬川の病状を悪化させるとともに、必要のない副作用で瀬川を苦しめ、かつその死期を早めた、違法なものである。
右違法な治療行為により瀬川が被った苦痛に対する慰謝料は、一〇〇〇万円が相当であり、原告美枝は、右慰謝料請求権のうち五〇〇万円を、原告範子及び同眞由美は各二五〇万円をそれぞれ相続により取得した。
4 よって、原告美枝、同範子及び眞由美は、被告に対し、債務不履行ないし不法行為に基づき、前記3の各金員及びこれに対する不法行為後かつ訴状送達日の翌日である平成八年一二月一二日から支払済みまでの民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1の事実は、認める。
2(一) 請求原因2(一)の事実は、認める。
もっとも、瀬川の疾病は、平成三年五月には、既に、MDSからAMLに移行していた。
(二) 請求原因2(二)の事実中、主治医らが、瀬川に対して、真実の病名を告げていなかったことは認め、瀬川が自身の疾病のMDS(RA)であると認識していたとの事実は知らない、その余の事実は否認する。
主治医らは、瀬川の疾病が悪性疾患であることを、本人には告知しないという方針の下、瀬川に対し、一貫して再生不良性貧血であると告げていたが、他方、原告美枝に対しては、平成三年五月、高橋医師から、瀬川の病状が既にMDSからAMLに移行していることを告知したうえ、瀬川に対してAMLの告知を行わないことについて、原告美枝の同意を得た。また、瀬川が、本件入院の際に、抗ガン剤治療を明確に拒否していたことはなかった。
(三)(1) 請求原因2(三)(1)の事実中、本件入院後の瀬川に対する治療方針として、通院時と同様のG-CSFの投与を選択し、右治療を開始したこと、瀬川が亡くなるまで右治療が継続されたことは認め、その余は否認する。
瀬川に対する治療方針は、主治医らによって決定されたものではなく、週一回、血液担当医師全員で行う治療方針検討会議(以下「血液カンファレンス」という)の総意に基づき、決定、実施されたものである。また、瀬川は、平成三年五月には、既にMDSからAMLに移行しており、平成六年二月にAMLに移行したものではない。
(2) 請求原因2(三)(2)の事実中、G-CSFの働き及び一般的にAMLに対しては同剤の使用は禁忌とされていること、瀬川に対して芽球の増大について説明をしなかったことは認め、その余は否認する。
G-CSFは、MDSばかりでなく、急性白血病及び再生不良性貧血などにも適応があり、好中球前駆細胞のみならず、広く造血幹細胞に作用することが知られており、実際の臨床においても、G-CSFを投与しても芽球の増加が認めれないときには、骨髄中の芽球が十分減少していない場合でも、治療上の必要に応じて、G-CSFの投与が行われている。本件入院後の瀬川の芽球の増加は、AMLの自然経過によるものであり、G-CSFの投与によるものではないし、仮にG-CSFが投与されなければ、好中球は維持できず、より早期に重篤な感染症を引き起こすなどして、死に至る可能性が高かった。
また、G-CSFの投与は、瀬川に対して、薬剤名(グラン)を告げて、その同意を得て行ったものである。瀬川に対しては、病名(AML)の告知をしておらず、芽球の増大についての説明もしていなかったが、白血球数等の検査成績はすべて知らせており、医師である瀬川としては、G-CSFの投与後の経過について、ある程度理解していたと考えられる。
(四)(1) 請求原因2(四)(1)の事実中、平成六年三月一八日から同年四月二一日まで、瀬川に対して、週三回、エポを投与した事実は認め、その余は否認する。
治療方針は血液カンファレンスで検討されて決められたものであり、またエポの投与開始日は、平成六年三月一八日であった。
(2) 請求原因2(四)(2)の事実中、エポの一般的作用、瀬川が本件入院前にエポの投与を受けていたこと及び主治医らが瀬川に対してAMLの告知をしていなかったことは認め、その余は否認する。
瀬川に対するエポの投与目的は、同人の骨髄中の赤血球系前駆細胞が少なく、赤血球系特異的増殖因子であるエポでその増殖を回復させることにより、赤血球の輸血必要量の増加を防ぎ、心臓への負担を少しでも軽減することにあった。MDS又はAMLにおいては、骨髄に残る赤血球系前駆細胞の状態には質的差異がなく、いずれの場合も、病態的にはエポの有用性が十分推定されるのであって、瀬川に対するエポの投与は、同人に対する最善の治療法を模索した結果なされたもので、十分な根拠に基づいて行われた適切な治療であった。
また、エポの投与は、瀬川の同意を得て行ったものである。
(五)(1) 請求原因2(五)(1)の事実中、瀬川に対し、AraC、エトポシド及びビンクリスチンを投与した事実は認め、その余は否認する。
右治療方針は、血液カンファレンスで十分検討して決められたものである。また、AraC(薬品名キロサイド)の投与経路は皮下注射であった。
(2) 請求原因2(五)(2)の事実は、否認する。
瀬川が、抗ガン剤の投与を明確に拒否していた事実はない。本件抗ガン剤の投与は、いずれも、強力な化学療法を行わないとの方針に基づいて選択された弱い治療であり、患者の苦痛を除却することを目的にして行われたものであった。
本件でAraCとエトポシドを併用投与したのは、平成六年五月一四日、AraCの皮下注射が行われていたにもかかわらず、末梢血中の白血球数がさらに増大し、芽球の浸潤に起因する脾腫増大による左季肋部痛が発症し、胸水が増加したことから、芽球の浸潤を少しでも減少させ、患者の苦痛を除去するためであった。右併用投与により、瀬川の末梢血中の芽球は減少し、脾腫は縮小した。瀬川にエトポシドを投与した段階では、正常細胞はほとんど残っておらず、エトポシドの投与によって、瀬川の正常細胞が減少し、出血や感染症の危険にさらしたということはない。後記(六)のとおり、腸管出血の原因は、感染症とは関係のない虚血性腸炎である。
ビンクリスチンの投与は、急増した芽球を減らすためにやむを得ず用いたものであったが、結局、効果は認められず、病状に影響を与えたものではない。
主治医らは、瀬川に対して、病名(AML)の告知を行わない方針であったので、薬剤名から抗ガン剤であることが明瞭となるキロサイドについては、瀬川に対して、エポと説明していたが、エトポシドの投与については、薬品名(ラステット)を告げて、瀬川の同意を得た上で行っている。
また、成田医師は、原告美枝に対しては、抗ガン剤の併用ないし薬剤変更の必要性を適宜説明していた。
(六) 請求原因2(六)の事実中、平成六年五月下旬、腸管出血があったこと、腸管の出血傾向がいったん治まったこと、同月一三日、瀬川が死亡したことは認め、その余は否認する。腸管出血の原因は、偽膜性腸炎ではなく、虚血性腸炎である。
3 請求原因3の事実は、相続割合については知らない、その余の事実は否認する。
第三当裁判所の判断
一 当事者及び診療契約の成立
請求原因1の事実は当事者間に争いがない。
二 瀬川の病状及びこれに対する治療経過等について
<証拠略>によれば、次のとおり認められる。
1 瀬川の白血球・汎血球減少症
瀬川(昭和二年一一月八日生まれ)は、昭和三二年ころから糖尿病を患っていたところ、昭和五〇年ころから、白血球が減少し始め、昭和五五年ころより、白血球数三〇〇〇/cmm(以下単位は、いずれも初出時を除き省略することがある)弱程度の白血球減少症となった。さらに、瀬川は、平成元年六月から平成二年六月にかけて、汎血球減少症が増強し、白血球数は一七〇〇から一〇〇〇に減少、ヘモグロビン濃度は一二・二から九・五g/dlに、赤血球数は三四五万から二七六万/cmmに、血小板数は八・二万から六・〇万/cmmにそれぞれ減少し、動悸、息切れ、疲労感が強くなった。
2 佐渡病院における治療(MDS(RAEB)診断)について
(一) 佐渡病院の漆山医師は、平成二年六月、瀬川について、骨髄検査を実施し、骨髄中の芽球の割合が一九・四パーセントであったことから、MDS(RAEB)と診断した。
(二) しかし、漆山医師は、MDSが、急性白血病に進展しやすい前白血病的性格と治療不応性の末梢血球減少を示す後天的造血障害をいい、その中でも、RAEBは、末梢血中の芽球の割合が五パーセント未満・骨髄中の芽球の割合が五パーセント以上二〇パーセント未満のもので、RA(末梢血中の芽球の割合が一パーセント未満・骨髄中の芽球の割合が五パーセント未満のもの)等に比して、その予後が悪く、AML(骨髄中の芽球の割合が三〇パーセント以上を占めるもの)に移行する割合が四〇パーセント以上であって、有効な治療法がなく、生存期間中央値が一〇から二〇月間とされる悪性疾患であったことから、瀬川に対して右病名を告知すべきか否かについて判断に迷い、恩師であった柴田教授に指示を仰いだ。
柴田教授は、昭和五二年一〇月に被告病院第一内科に赴任して以来、瀬川との付き合いがあり、瀬川から白血球減少症について度々相談を受けていたところ、瀬川が豪快かつユーモアを解する人柄である反面、神経が細やかで、物事を深刻に受け止める面があり、白血球減少症についても、それほど重症でないころから、これを非常に気にしているようであったこと、MDS(RAEB)は前記のとおり予後の悪い悪性疾患であり、瀬川は、血液班に属したことのある医師であるため、MDS(RAEB)であると告知すれば、右病態及びその予後を容易に理解し、相当な心理的負担がかかると推察されたことなどから、同人に、右病名を告知するのは望ましくないと考え、漆山医師に対し、その旨指示した。
(三) そこで、漆山医師は、柴田教授の指示に従い、瀬川に対しては、病名(RAEB)を告知しないこととし、同人に対し、骨髄検査の結果は、骨髄中の芽球の割合が四・八パーセントであり、再生不良性貧血又はMDSのうちの不応性貧血(RA)であると考えられるなどと説明したうえ、同人に対して、ビタミンA等を処方しつつ、経過観察を行った。
3 第一回入院(AML診断)について
(一) 瀬川は、運動負荷試験を行った際に心電図に異常が認められたことから、平成三年五月二〇日から同月三一日まで、狭心症の精密検査を目的として、被告病院第一内科に入院した。
被告病院では、瀬川の治療について、医療チーム(主治医には、循環器系の医師田辺恭彦、同和泉徹及び血液系の医師高橋益廣(以下「高橋医師」という))を結成したが、同月二三日に実施された骨髄検査の結果、瀬川の骨髄中の芽球の割合は四〇パーセントにまで増大しており、既にRAEBからAMLに移行していることが判明した。
(二) AMLは、骨髄の中で、未分化な芽球が腫瘍化すなわち白血病化して急速に自律増殖する悪性疾患であり、その治療法には、多剤併用の化学療法や、感染・出血・貧血対策のための支持療法などがあるが、MDSから移行したAMLは治療抵抗性が強く、また、高齢者や慢性疾患を有する者に対して、強力な化学療法を施行すると、遷延する骨髄抑制との強い副作用が出現して、化学療法死を招き、かえって予後を不良にするとされている。
(三) 主治医らは、前記医療チームや血液カンファレンスなどにおいて、瀬川に対する治療方針を検討し、<1>狭心症に対しては、左冠動脈主幹部に六〇パーセントの狭窄が確認され、バイパス手術の適応があるが、同人の予後を規定する因子はAMLであるため、狭心症に対する治療は内服治療にとどめ経過観察を行うこと、<2>AMLに対しては、MDSから移行したもので治療抵抗性が強く、瀬川の年齢等からして、強力な多用剤併用の化学療法には耐えられないと考えられるため、支持療法で経過観察を行っていくこと、<3>瀬川への病名告知については、佐渡病院において病名(RAEB)を告知していないことや、既にAMLに移行していることなどから、被告病院においても、病名(AML)の告知は行わず、瀬川に対しては、再生不良性貧血と説明して、その治療を行っていくという方針を決定した。
(四) 高橋医師は、平成三年五月二八日、前記方針に従って、瀬川に対して、骨髄検査の結果、芽球は増加していないが、再生不良性貧血かRAの間で、どちらとも診断がつきにくいと説明し、右症状に対しては確実性のある治療法がなく、支持治療を行うこと、もっとも、貧血や血小板数の減少が進行した場合はそれぞれの血球の輸血を行う必要があること、狭心症については、外科的治療の適応もあるが、血液所見の問題もあるため、内服治療を行って経過観察する方針であると説明をしたところ、瀬川は、輸血については、できる限り行いたくないとの意向を示したが、それ以外の治療方針については、これを了承した。
(五) その一方で、高橋医師らは、そのころ、原告美枝に対して、瀬川の病状が、MDSから白血病に移行していることを説明したところ、原告美枝から瀬川にもその旨を話してほしいとの希望が出され、高橋医師らもこれを了承したが、結局、瀬川に対する説明はなされなかった。原告美枝は、右説明後、瀬川に対して、今後、慢性白血病に移行すると告げたが、瀬川は、右病名を不審に思って、高橋医師らを問いただすようなことはなかった。
(六) 瀬川は、平成三年五月三一日、主治医らから、退院後は、日常業務及び院内業務についておだやかなものに限定するという条件のもとで、退院を許可され、その後、佐渡病院において、内服治療及び経過観察が続けられた。
(七) 瀬川は、平成四年五月三一日、佐渡病院長の職を辞した。
4 第二回入院治療(G-CSF投与)等について
(一) 瀬川は、平成四年一一月八日、夜間より発熱し、同月九日、末梢血の白血球数五〇〇、ヘモグロビン濃度六・〇、血小板数〇・七万と著名な汎血球減少が認められ、同日、被告病院に入院した。
被告病院では、血液系の小池医師及び橋本医師が瀬川の主治医となった。
(二) 橋本医師は、平成四年一一月九日、瀬川について、骨髄検査を実施したところ、骨髄中の芽球の割合が八四・四パーセントにまで増加していたことから、血液カンファレンスでの検討結果に基づき、瀬川の骨髄から芽球を採取し、試験管内でG-CSFを添加培養しても、増殖反応がないことを確認したうえ、同月二六日から、瀬川に対して、G-CSF七五マイクログラムの皮下注射を開始した。
その後、平成四年一二月八日には、骨髄中の芽球の割合は三八・四パーセントまで減少し、同月中旬には、外泊も可能となり、さらに平成五年一月一八日の骨髄検査では、骨髄中の芽球の割合は二〇・二パーセントまで減少し、同年二月一六日から、G-CSF投与量を一五〇マイクログラムに増量したところ、同月一九日には、末梢血の白血球数二六〇〇、ヘモグロビン濃度七・二、血小板数二・七万にまで回復した。
(三) 瀬川は、平成五年二月二二日、被告病院を退院し、その後は、通院しながら、輸血及びG-CSFの投与等の治療を続け、末梢血の白血球数は二五〇〇ないし四五〇〇、血小板数も二万前後に保たれ、汎血球の状態は安定していた。この間、同年四月七日から同年八月一七日まで、エポの投与を受けたが、効果がなく中止された。
5 本件入院治療について
(一) 瀬川は、平成五年一〇月五日の夕方から発熱し、同月八日からは、四〇度を超える高熱となり、容態が悪化したため、同月一〇日、被告病院第一内科に再入院した。
被告病院では、入院当初は橋本医師が、同年一一月二二日からは血液系の成田医師が、瀬川の主治医となった。瀬川に対する治療方針は、週一回以上開催される血液カンファレンス、毎週水曜日に行われる柴田教授の回診、主治医の所属する診療グループにおける検討結果に基づいて、決定され、基本的に、<1>瀬川に対しては、第一、二回入院と同様、強力な多剤併用の化学療法は行わないこと、<2>末期の際には、気管内挿管や人工透析等の積極的な延命治療は行わないこと、<3>本件入院中も、瀬川に対して病名(AML)告知を行わず、再生不良性貧血との説明で治療を行うこと、<4>瀬川が希望した場合には末梢血液検査結果をコンピューター画面から印刷して渡すことなどの方針が確認された。
柴田教授は、本件入院にあたり、瀬川の病室へ赴き、同人に対し、その病名について、再生不良性貧血、狭心症及び糖尿病であると説明したうえで、治療について、強力な化学療法は行わず、通院時と同様、G-CSFの投与を続けていく方針であると説明したところ、瀬川も、過剰な薬剤の投与、化学療法及び輸血に対して消極的な考えを持っていたことから、右方針のとおり、化学療法は行わないで治療してもらいたいとの意思を表明し、G-CSFの投与については、これを了承した。
(二) G-CSFの投与
(1) 瀬川の発熱は、抗生剤等の投与、輸血等により、平成五年一〇月一六日には、下がったものの、入院当日の末梢血検査によれば、白血球数一八〇〇、ヘモグロビン濃度五・二、血小板数〇・九万と急速な汎血球減少が認められ、その後も減少傾向が続いた。
(2) 前記のような急速な汎血球減少は、これまで有効であったG-CSFに対する骨髄中の幹細胞の反応低下によるものと推測されたことから、橋本医師は、血液カンファレンス等での検討結果に基づき、瀬川に対して、本件入院当日の平成五年一〇月一〇日から、G-CSFを三〇〇マイクログラムに増量して、皮下注射投与を開始したところ、同年一一月一五日には、瀬川の末梢血の白血球数は三一〇〇、血小板数も一・七万まで回復した。
同月二二日から、瀬川の主治医は、成田医師に引き継がれたが、同医師もまた、これまでの治療方針及び血液カンファレンス等での検討結果に基づき、瀬川の芽球の増加傾向の有無、狭心症の発作の予防等に注意しながら、G-CSFの投与を継続し、同人の白血球数・血小板数の維持(感染症・出血の防止)を図った。
瀬川の容態が安定していたことから、同月一八日には、G-CSFの投与量は一五〇マイクログラムに減量され、その後も、同年一二月二二日の瀬川の末梢血の検査結果は、白血球数三二〇〇、ヘモグロビン濃度七・五、血小板数二万であり、汎血球は発熱等がない限り比較的良好な状態に保たれていたことから、同人は、年末から年始にかけて、外泊することもできた。
(3) しかし、瀬川は、平成六年一月半ば、再度発熱し、さらに、同月二六日からは、末梢血中の芽球の割合が増加傾向を示し、同月二八日の末梢血検査によれば、白血球数一一〇〇(芽球は一二パーセントに増加)、ヘモグロビン濃度五・七、血小板数一万と汎血球が減少したことから、成田医師は、血液カンファレンス等での検討結果に基づき、同日から、瀬川に対する、G-CSFの投与量を三〇〇マイクログラムに増量するとともに、瀬川が鼻出血を起こしたことなどから、同年二月五日から、血小板の輸血を開始した。瀬川は、このころから、貧血、疲労を度々訴えるようになった。
成田医師は、同日、原告美枝に対し、瀬川の末梢血中の芽球が増加している状況について説明したところ、原告美枝は、成田医師に対して、二年半前に前白血病であり予後不良であると告知され、瀬川もそのことは承知している、あまり苦しまない方法で最後を過ごさせて欲しいと希望した。
(4) その後、瀬川は、平成六年二月一八日、末梢血の白血球数一五〇〇(芽球一五パーセント)、ヘモグロビン濃度五・五、血小板数〇・五万となり、赤血球及び血小板の輸血が必要な状態が続いたが、同年三月二日、骨髄検査を実施したところ、骨髄中の芽球の割合が二六・四パーセントにとどまっており、好中球数も保たれていたことから、成田医師は、瀬川に対するG-CSFの投与は、なお有効であると判断した。
(5) 成田医師は、血液カンファレンス等での検討に基づき、その後も、瀬川が死亡するまで、同人に対して、G-CSFの投与を継続した。
(三) エポの投与
瀬川は、平成六年一月二八日にG-CSFの投与量を三〇〇マイクログラムに増加した後も、血小板数及びヘモグロビン濃度の値が回復せず、頻回な輸血を必要とし、同年二月ころから、度々、心悸亢進、胸部の不快感等の症状を訴えていた。
そこで、同年三月上旬ころから、血液カンファレンスにおいて、瀬川に対するエポの再使用が検討されるようになり、柴田教授が、瀬川の承諾を得たうえで、成田医師は、右カンファレンスでの検討結果に基づき、同月一八日から四月二〇日まで、赤血球造血の回復により輸血量を減らし、心臓への負荷を下げることを期待して、週三回、エポ一万二〇〇〇単位の皮下注射投与をしたが、効果が現れず、投与は中止された。
(四) 抗ガン剤の投与
(1) AraCの投与
瀬川は、前記(二)(3)のとおり、平成六年一月二六日ころから、末梢血中の芽球の割合が増加し始め、同年三月一六日には、白血球数三五〇〇(芽球三二パーセント)、同月二三日には、白血球数四三〇〇(芽球四一パーセント)同年四月一日には、白血球数三一〇〇(芽球五九パーセント)にまで増加した。さらに、瀬川は、同月四日から、左季肋部痛を訴えるようになり、腹部レントゲン検査の結果、脾臓の腫大が認められた。
成田医師は、診療グループ等で瀬川に対する治療方針を検討し、右症状は、芽球による臓器浸潤が始まっていることを示すものであり、このままでは臓器浸潤による生命の危険が予想されたこと、好中球の減少による重篤な感染症合併の危険性も考えられること、瀬川が、鎮痛剤の使用を拒み、脾臓の腫大を縮小させる方法を希望したことなどから、抗ガン剤であるAraCの経口剤(薬品名スタラシド)を投与して、浸潤している芽球を減少させる方針をとることとした。成田医師は、瀬川に対して、貧血改善薬としてスタラシドを投与すると説明し、その了承を得たうえで、平成六年四月五日から、AraCの経口剤投与を開始した。瀬川は、成田医師から、右薬品名を告げられた後も、薬剤や疾病について、詳しい説明を求めることなく、服用を続けた。
その後、平成六年四月八日には、芽球の増加が一時治まり、左季肋部痛も軽減したものの、同月一三日ころから、再び芽球が増加傾向となった。そのため、成田医師は、同月二〇日、瀬川に対するエポの投与を中止した際、AraCについて、経口剤からキロサイド一〇ミリグラムの皮下注射投与に切り替えたが、瀬川に対しては、AML告知をしていなかったことから、薬品名(キロサイド)を告げず、エポであるとして投与を行った。AraCの投与は、同年五月二一日まで継続された。
なお、瀬川は、同年四月一七日、友人の伊藤正一医師の見舞いを受けて、大変喜び、同人に対して、「大学に任せて治療してもらっているから安心だ。」等と話していた。
(2) エトポシドの投与
瀬川の容態は、その後比較的安定し、平成六年四月末には、食欲も回復したが、白血球数及び芽球は増加を続け、同年五月二日には、白血球数一万一四〇〇(芽球八〇パーセント)、同月一三日には、白血球数二万三四〇〇まで増加し、同月一四日、肝臓及び脾臓の腫大並びに両側胸水が出現したことから、成田医師は、同日から、瀬川に対して、薬品名(ラステット)を告げたうえ、抗ガン剤であるエトポシドについて、前記AraCとの併用投与を開始した。
瀬川は、平成六年五月一五日には、左季肋部痛をかなり訴えていたが、同月一六日には軽減し、同月二〇日には、白血球数も二三〇〇(芽球七〇パーセント)にまで減少したことから、エトポシドの投与は中止された。
(3) ビンクリスチンの投与
しかし、瀬川は、平成六年五月一八日から、高熱が続くようになり、感染症対策として、抗生剤の投与及び同月一九日からG-CSFの増量投与(三〇〇マイクログラム)がされたが、同月二七日から下血が始まり、同年六月に入ると、胸水が大量に貯留しはじめ、出血傾向や浮腫も増大した。瀬川は、同月八日には、今度は、白血球数が過剰に増加傾向となったため、同月一一日から、AraC(キロサイド)の少量投与が再再開されたが、このころから、正常な白血球数の著しい減少により、瀬川は、激しい歯痛を訴えるようになり、成田医師は、ソセゴン等の鎮痛剤の使用を勧めたが、瀬川はこれを拒んだ。さらに、瀬川は、同月一二日には、頻脈性心房細動の発生により、たびたび胸部不快感を訴え、大量の胸水、肺うっ血が出現し、白血球数が四万二五〇〇と急激に増加し、芽球が全身に浸潤しはじめたと認められたことから、成田医師は、右急激な芽球の浸潤を押さえるために、血液カンファレンスで検討されていた抗ガン剤ビンクリスチン(薬品名オンコビン)二ミリグラムを投与したが、全身状態は回復しなかった。
(4) 瀬川は、平成六年六月一三日午前六時一分ころ、心不全を起こし、死亡した。
三 本件各治療行為の違法性の有無について
1 本件各治療行為の適応について
(一) G-CSFの投与について
(1) <証拠略>によれば、G-CSFは、組換えDNA技術を応用して製造された顆粒球コロニー形成刺激因子であり、造血幹細胞を刺激して好中球前駆細胞の分化増殖を促進する作用を有するため、一般的に、再生不良性貧血及びMDSに伴う好中球減少症にその適応があるとされており、AMLに対しては、正常好中球系幹細胞のみならず、骨髄性白血病細胞も刺激して、その分化増殖を促進する作用を有していることから、一般的に禁忌とされてきたことが認められるが、瀬川の死亡後のこととはいえ、近時、G-CSFの芽球レセプター(受客体)数が、正常好中球に比較して四ないし一〇分の一であるとの報告もあり、骨髄中の芽球が十分に減少していないAMLについて、G-CSFを投与しても、骨髄中の芽球の著名な増加が認められず、正常好中球増殖作用の方が強い場合には、G-CSFの投与が有効な場合もあるとされ、また、AMLが進行し、感染症死の危険性が高まった場合などには、例え骨髄中の芽球が増加する場合であっても、重篤な感染症の発症を回避するために、G-CSFを投与して、好中球を回復させることが必要となる場合があるとの見解が有力となっていることが認められる。
(2) 本件において、瀬川は、G-CSF投与前の平成三年五月には、既にAMLとの診断を受けていたところ、その後、第二回入院(平成四年一一月)の際に、著名な汎血球減少症となり、骨髄中の芽球の割合も八四・四パーセントにまで増大したが、G-CSFの投与により、汎血球減少症は回復し、芽球の割合も二〇・二パーセントにまで減少していること、その際に行われた芽球のG-CSF培養検査で増殖反応がなかったことなどから、同人に対するG-CSF投与の有効性が確認されていたのであって、本件入院において、成田医師が、瀬川に対して、芽球の増加傾向の有無等に注意しながら、G-CSFの投与を継続したことは、治療担当医師としての裁量の範囲を超えた不相当なものとはいえず、その措置に違法はない。
また、成田医師は、瀬川の抹消血中の芽球が増加傾向となった平成六年一月二六日以降も、同人に対するG-CSF投与を継続しているが、右段階では、汎血球減少症も進行しており、白血球数が一一〇〇、血小板数も一万にまで減少し、白血球数は一〇〇〇以下となると重篤な感染症を併発する危険が増大するとされ、血小板数は二万以下となると重篤な出血を起こしやすくなるとされていること、瀬川が鼻出血を発症していたことからすると、右感染症や出血の危険を回避するためには、G-CSFを継続投与せざるを得なかったと考えられるし(このことは、AMLが悪化した時点で一層当てはまるものである)、成田医師は、同年三月には、骨髄検査により、骨髄中に好中球が維持されていることを確認したうえで、まだ同剤の有効性があると考えて、投与を継続していること等も併せ考えると、平成六年一月二六日以降のG-CSFの投与も、治療担当医師としての裁量の範囲を超えた不相当なものとはいえず、その措置に違法はない。
(二) エポの投与について
前記二5(二)で認定した事実及び<証拠略>によれば、成田医師は、平成六年三月、瀬川の血小板数及びヘモグロビン濃度の値が、G-CSFを増量投与した後も回復せず、頻回や輸血が続けられていたことや、同人から心悸亢進、胸部の不快感等の症状を訴えられていたことから、血液カンファレンスの検討結果に基づき、赤血球造血の回復により輸血量を減らし、心臓への負担を多少なりとも軽減することを期待して、エポ一万二〇〇〇単位の皮下注射投与をしたものであること、エポは、赤血球系細胞を分化増殖するエリスロポエチンを遺伝子組換えによって合成したもので、骨髄中の赤芽球系前駆細胞に働き、赤血球への分化と増殖を促す作用を有することが認められ、これらの事実に照らすと、本件におけるエポの投与は、治療担当医師としての裁量の範囲を超えた不相当なものとはいえず、その措置に違法はない。
(三) 抗ガン剤の使用について
前記二5(四)で認定した事実、<証拠略>によれば、AraC(薬品名キロサイド・スタラシド)、エトポシド(薬品名ラステット)及びビンクリスチン(薬品名オンコビン)は、いずれも抗ガン剤であるが、本件における右各抗ガン剤の投与は、いずれも、多剤併用による化学療法として使用されたものではなく、瀬川について、平成六年四月ころから、抹消血中の芽球の割合が急激に増大して、芽球の全身への浸潤が始まり、脾腫増大や胸水、頻脈性心房細動が発生して、全身状態が悪化した結果、瀬川が、脾腫増大による左季肋部痛や胸部不快感等の苦痛を訴え、しかも同人が鎮痛剤の使用を拒んでいたことから、芽球の全身への浸潤を少しでも減らし、患者の苦痛を除去するために、必要最小限の方法で投与されたものであり、急速に悪化する芽球の増大に対処する方法として、他に代替手段はなかったことが認められるから、本件における抗ガン剤の投与は、治療担当医師としての裁量の範囲を超えた不相当なものとはいえず、その措置に違法はない。(各抗ガン剤の投与によって、瀬川が出血や感染症の危険にさらされたり、その副作用によって死期が早められたものと認めるに足りる証拠はない。)
なお、瀬川は、本件入院当初、柴田教授らに対して、化学療法等は行わないでもらいたいと希望しているが、その時点において、瀬川はAMLの告知は受けておらず、右希望の趣旨は、必要以上に患者に薬を投与するような強力な化学療法を行わないでもらいたいという程度のものであったと解されるから、末期の段階で、苦痛を取り除くために行われた前記抗ガン剤の投与が、右瀬川の意思に明らかに反するものとは認められない。
2 瀬川に対する病名(AML)の告知と各治療行為への同意について
前記二1ないし5で認定したとおり、主治医らは、瀬川に対しては、真実の病名(AML)の告知をせずに、再生不良性貧血であると説明して治療を行うものと決定し、成田医師もまた、右方針に基づいて、瀬川に対して、再生不良性貧血であるとして、前記1(1)ないし(3)の治療行為を行っている。
この点、本件各治療行為について瀬川の承諾を得るために、その病名(AML)の告知をすべきであったか否かが問題となるが、確かに、患者には、自己の疾病について正しい説明を受け、その治療方針について自己決定をする権利があり、右自己決定権は最大限尊重されなければならないが、他方で、AML等の悪性疾患については、告知によって患者本人に与える精神的打撃が大きく、そのために、治療の有効性が減殺されてしまう事態もあり得るし、また患者自身が右告知を望まない場合もあると考えられるところ、瀬川に対しては、被告病院に入院する以前から、その病名(MDSのうちのRAEB)の告知がなされずに治療が継続され、被告病院においても、第一内科の基本方針として、真実の病名(AML)を告知せずに、再生不良性貧血であるとして治療が続けられてきた(証人柴田、同高橋)こと、右方針は、瀬川と旧知であった柴田教授が、瀬川の性格、白血球減少症についての相談状況、当時の病状等を考えて決めた方針であったこと、瀬川の病状は、本件入院時には、既にMDSからAMLに移行した後、さらに病状が進行しており、仮に、本件各治療行為時点で、瀬川に対して右病状及び病名を告知すれば、血液班に属していた経歴を持つ医師である瀬川は、その予後を容易に理解し、多大な精神的打撃を受けたであろうと考えられたこと、他方、瀬川は自らの汎血球減少症を重大なものとして受けとめており、また、同人のAMLに対する治療は支持療法が中心であったため、再生不良性貧血であると説明したとしても、AMLに対する本件各治療を行う障害とはならなかったこと、瀬川は、MDSがかなりの確率でAMLに移行するという認識や、慢性白血病ではないかとの疑いを持ちながらも、自身の疾病について、主治医らに対して、病名の告知を強く希望したり、治療方針を自ら決定していきたいという態度を示した形跡はなく、むしろ、自らの疾病の治療方針については、主治医らに任せたいという意向を持っていたと推認されることからすると、本件において、瀬川に対して、真実の病名(AML)を告知しないまま、本件各治療を行ったことは、治療担当医師としてやむを得ない措置であったということができ、これを不合理であるということはできない。
また、真実の病名を瀬川に告知しなかったことにより、同人が自己の病状を重大視せずに適切な治療の機会を喪失したという結果が生じていなかったことは前記認定のとおりである。
四 以上の次第で、原告らの請求はいずれも理由がない。
(裁判官 松田清 大野和明 泉路代)